RESTART

ゆるゆると。

戻れるものなら


家から歩いてすぐのコンビニの店員さんが可愛い。
レーニング中と名札に書かれている。
新人さんらしい。


コンビニの店員さんが可愛い。
それだけで通う理由を作ってしまいたくなる。
1日頑張れそうな気がしてくる。


なんて単純なんだろう。
男はみんな、中学生くらいからずっと変わらないアホさがある。


たまにはです・ます調ではなくてだ・である調で
書いてみたけどなんとなくキザな感じがして恥ずかしい。



ここから本題なので、です・ます調で書きます。



東京に出てきて5年目になります。



19歳の頃、進学を目的として上京をしてきたのですが、
正直大学なんて行かなくても良かったなあと思うことが多々あります。



「大学で何勉強したの?」

と聞かれる度思うのですが、
"正直何も覚えてない"んですよね。



あ、言っておきますが、記憶喪失ではないです。笑



4年間も学校へ通っていたのに、
何も印象に残っていないんです。



あんなに真面目に通ったのに。



思えば、


なんとなく大学に行きたい

とりあえず大学は出といた方がいいのかな

親がダメって言うから反抗したかった


こんな気持ちで進学をしたことが
間違いだったなあと思っています。



友達もできたし、今も仲良しな人がたくさんいるので、
それ自体は嬉しいことだと思っていますが。



うちは母子家庭で大学に行けるほど裕福ではなくて、


・仕送りを一切もらわないこと
・親に迷惑をかけないこと


を条件にして勝手に家を飛び出してきたので、
昼間は週5で働きながら、夜は大学で授業を受けていました。



生活費は全部自分で稼ぎながら、
学費だけ奨学金で賄い、
親に頼らず4年間やり抜きました。



偉いねと良く言われますが、
今思えば単純に馬鹿だなあと思います。



そこまでして大学に行く必要があったのか、
そもそも何のために大学に行くのか、
目的意識が皆無でした。



結局のところ今いる会社は
高卒新卒から採用してる会社だし、
大学に行った意味ないよなあとか
思ってしまう日もあります。



大学へ進学した際の機会費用
大きさに打ちひしがれています。



先日、19歳の後輩と電話をしてる中で、
19歳に戻りたいなって話をしたのですが、
戻れるものなら本当に戻りたいです。



東京に出てきたあの頃に戻れるなら、
お金を払ってでもやり直したいと強く思います。



そのくらい時間はみんなに平等で、
価値のあるものなんだなあと感じます。
感じるだけでなかなか日頃から意識して
行動するのは難しいんですけどね。



ただ一つ言えることとしては、
東京に出てきたことは間違いじゃなかったということです。



大学への進学は正直ミステイクだった気もしていますが、
東京に出てこないと分からなかったことは多くありました。



地元長野で高卒で就職していたら、
良くも悪くも変わらないままだったのかなあと思います。



自分で考えることもないまま淡々と仕事をして、
最低限の収入があればいいやって思いながら
言われたことしかやってないような気がします。



リスクがなく安定した生き延び方ではあるのですが、
楽しいかと言われたらきっと楽しくないでしょう。



東京に来てからというもの、
苦労やリスクばっかりです。



実家暮らしでろくにバイトもしてない友達の方が
好きにお金を使えてて、本当に悔しかったです。



毎日毎日働いてるのに、
固定費でお金が消えていって、
手元に残るお金なんて雀の涙ほどしかない。



オレのが頑張ってるじゃん、なんでだよ

って思ってましたが、

自分でこの生き方選んだんだろ、文句言ってんじゃねえ

って何とか自分に喝を入れてましたね。



朝起きたら水道とガスが止まってて、
真冬にコンビニの2リットルの水で頭洗ったこともあります。



派遣のバイトに行く片道の交通費しかなくて、
夜勤明けに死にそうになりながら
20kmを歩いて帰ってきたこともあります。



派遣のバイト終わった足で違う派遣に行き、
さらにそのまま寝ないで次の派遣に行って、
ボロボロになって帰ってくるという生活もしていました。



お金がなさすぎて1日100円のパンを
1つしか食べられない時期もありました。



借金もしました。



怪しいマルチ商法の世界に飛び込んで、
友達勧誘しまくって、
本気でこの世界で生きていくんだ!!
って思ってた時期もありました。



なので大学時代の友達の中には、
僕のことをめちゃくちゃ嫌ってる人も少なくないです。



たくさんたくさん苦労をしました。



遠回りだったかもしれません。



とても綺麗とは言えない人生です。



思い返すと涙が出ます。



でも、きっと必要な経験だったんでしょう。



24歳にしてようやく、


この会社のために頑張りたい、
この人たちと一緒に頑張りたい


という会社に出会えて、


もっと人生を豊かにしたい


と本気で思えています。



ここから人生やり直すぞって
意味を込めて付けたブログのタイトル、


「RESTART」


もう一度、ここから走っていきます。

脱・エスノセントリズム


春なんてなかったかのように急に暑くなってきました。
コロナウイルスの影響であまり外に出られなかったので、余計にそう感じるのでしょうか。



24歳にもなって半袖が1着しかなかったので、半袖を買いに池袋まで自転車を飛ばしてきました。



気付けば池袋まで15〜20分ほどですんなり到着できるようになりました。
道に迷うこともほとんどなくなり、楽しくサイクリング気分で行けるのは良いですね。



会社に行く道のりの方が個人的には疲れる気がしてます。
地味に緩やかなアップダウンが多いからでしょうか。



それにしても慣れというものは怖いものです。
最初は池袋から家まで帰ってきただけで息が上がってしまい、"自転車通勤できるのかオレ…"なんて思っていたのに。



さて、池袋に到着すると、先週までと比較して体感で1.5〜2倍くらい人が多くて驚きました。
先週まで閉まっていたお店が少しずつ営業を再開していていて、徐々に日常が戻りつつあるのかなあと感じます。



とは言っても東京はまだ緊急事態宣言中ですし、ウイルスが消滅したわけでもないんですよね。



もはや自粛に対して全国民が同じ方向を向くのは難しいと思っています。
倫理的な話になるとまた別ですが、正解はないんですよね。



"かかっても死ぬ確率低いし大丈夫でしょ"

という考えの人がいても別に間違いではないし、

"家から出るなんてありえない、買い物は通販、食事はUber Eatsで済ませる"

という考えの人も同様に間違いではないでしょう。



前者のような人は散々に叩かれてしまうので悪とされがちですが、正直自粛が法律で定められているわけではないので、一定数そういう人がいても仕方のないことではないのかなと思っています。



もちろん自粛の動きが必要か必要ではないかと言えば、外出を控えて、密を避けることは必要だと僕は思います。



この時期にマスクも着けずに普通に遊びまわってる人のことを擁護したいわけでもないですが、叩こうともしてないです。
何してんだよとは思いますけど。



ただ、変な正義感で、価値観や考えの違う人に押し付けるのはいかがなものかと思ってしまうんですよね。



自粛警察や他県ナンバー狩りもそうですが、同調圧力が強すぎるのではないかと思います。
国民性の一言で片付けてしまえばそれまでなんでしょうけど。


自分は正しいと思い込んでしまうことほど危ないことはないと思っていますし、正義なんて形のないものは、人によっても状況によっても変わってくるものです。


強制じゃない以上、100%は無理です。



分かり合えないならそっと離れたらいいじゃないですか。
考え方は違えど、その人にはその人なりの"正しい"があるんだと思います。


正しいと正しいがぶつかり合うから戦争が起こるんです。



と言いながらもきっと僕自身も根底にあるのは、エスノセントリズム(自文化中心主義)的な考え方で、自分と違う考えの人をすごく排斥したがるし、心の底では否定したくなります。



文化相対主義的な考えができる人になりたいと思っていますし、それができる人こそ酸いも甘いも知り尽くした大人なんだろうなあとは思いますが、僕はきっとまだまだ子どもなんでしょう。
言葉や態度に出したりすることはないですが、自分と違う人に嫌悪感を覚えてしまうことがいまだに多いです。



最終的には国民ひとりひとりの倫理観に委ねる部分ではありますし、"人としてどうなのか"ということになってきます。


ただ、ウイルスに関しては拡散してしまうものですし、自分1人の問題ではないので、個人の倫理観がどうとか言ってる場合でもないと感じたりもしますが、そうは言っても自分さえ良ければいい人も世の中には一定数いますし、多分そういう人たちには何を言っても聞いてもらえないでしょう。



相手を否定しない、背景を理解すること。
同調できなくてもいい、違うことを認めること。

普段からすごく心掛けていることではあります。
できているかは自信持って言えませんが、少なくとも"オレと考え方が違うからお前はダメなやつだ"といったエスノセントリズム的な考え方からは脱却できるといいなあと思っています。

悪しき風習


今朝、郵便局に用事があったので行ってきました。


若めの女性に対応していただいたのですが、窓口のレジに

「担当は○○ ××(窓口の女性のフルネーム)です」

の文字が。


え、これ必要ですか?


個人情報を全力で晒していくこのスタイル、不思議で仕方がありません。


特に女性はフルネームを出すことに抵抗がある方も多いのではないでしょうか。


もちろん担当者の名前を出すことで、"私が責任を持って最後まで業務に取り組みます"という意思表示にはなるのかもしれませんが、だとしても名字だけで良いのではないかと思ってしまいます。


飲食店では店員の名札やレシートからSNSのアカウントが特定されて、つきまとわれたりする事例が少なからずあるようです。


東京のITコンサルタント会社が3年前に都内で行った調査によると、店員の名札からSNSアカウントを特定した経験がある人が37%に上ったといいます。


これ怖いのが、

"検索した経験がある人"

ではなくて、

"特定した経験がある人"

なんですよね。



3人に1人以上の割合で特定されてしまうってかなり怖いことですよね。
検索しただけで言えば半数近くいるのではないでしょうか。


かくいう僕も、学校で気になっていた女の子の名前をネットやSNSで検索したことがありますし、心当たりある方もそれなりにいるのではないでしょうか。


SNSで炎上した際のコメント欄を見れば一目瞭然ですが、詳しい人の手にかかれば、住所や電話番号まで、あっという間に個人情報が丸裸にされてしまう世の中です。


それでもフルネームを出すことを義務付けることに何の意味があるのでしょうか。



"昔からそうだから"

"今更変えられない"


どうせめんどくさいだけでしょう。
無駄なことはどんどん省いていけば簡略化すればいいのになあといつも思います。


えー、偉そうに言いましたが僕自身私生活の無駄なことを一切省けておりません(笑)


それとこれとは別ということでお話を続けます...笑



気になって少し調べてみましたが、薬剤師はフルネームの明記が義務とのことです。


というのも処方箋による調剤は、薬を飲んだ人に重大な副作用が生じることがあるため、誰が最後に責任をもつのかという部分で、最終的に調剤した薬剤師のフルネームを明記する義務があるそうです。


薬の副作用によって健康を害した場合、医師や処方箋を出した薬剤師に刑事責任を問うこともあると書かれていました。


確かに名前書かなくて良かったら、毒を入れて死なせてしまっても、誰の仕業か分からなくなってしまいますもんね。


ちゃんと厚生労働省のページで確認するあたり、大学のレポートよりも真面目に書いてるかもしれません。
こんなブログを書いたところで単位も貰えなければ、1円にもならないのに(笑)



僕の名前は"平凡・オブ・平凡"なので、フルネームがバレたところで同姓同名がごまんと出てきます。
珍しくない名前なら名前に対しての危機意識は低いかもしれませんが、ある程度稀な名字や名前になってくると、それだけですごくリスクの高いものになってしまいます。


居酒屋とか飲食店とか、ある程度のフランクさが許容されるところでは、まったくの偽名でも問題ないのではと思っています。


田中さんが清水って名札をつけてても別に良いのでは?
むしろプライバシー的にはプラスでは?

とすら思ってしまいます。



ビール瓶のラベルを上に向けてお酌をしろとか、昔からの不思議な風習って色々ありますけど、訳が分かりません。



働く上でや人付き合いをしていく上での余計なストレスがなるべく減れば良いよなあと思う今日この頃でした。

好きな人のために


気づけばGWも終わり、5月も中旬に差し掛かろうとしています。
うちの会社が営業自粛になってから大体3週間くらいは経ったでしょうか。
先日、久しぶりに出勤することができました。


久々に会社の人たちに会ってすごくホッとして、楽しいなって心から思いました。
改めて自分の会社愛を感じた瞬間でした。



本来5/31までは営業自粛のままなのですが、新しい事業に向けた準備のお手伝いをさせていただけることになり、一足早く自粛から復活の運びとなりました。



ものすごくかっこよく言うのであれば、

会社の新規プロジェクトの立ち上げメンバーに抜擢された

ということです。


・・・完全に調子に乗りました。すみません(笑)





それでも、全員が出勤できるわけではないこの状況において、お声をかけていただけたということが何よりも嬉しいことです。



綺麗事だと言われる方もいらっしゃるとは思いますが、"いくら稼いだ"とか、"あれを買うために"とか、そういったことよりも、"人に認められたい"という部分が僕の原動力になっていると思っています。
ここは今までずっと変わっていないし、これからも変わらないだろうと思います。
一番はやっぱり誰かに認めてもらいたい、必要とされたい。
突き詰めると、"あいつがいなきゃ困る"って言われるくらいに信頼されたい。
そこが一番です。



もちろんお金がいらないわけじゃないし、むしろ欲しいです。
当然今よりもっともっと稼ぎたい、稼がなきゃとは思います。
ただ、お金は後からついてくる精神で、会社のため、他の人から認めてもらうために頑張る方が僕は燃えます。


承認欲求の塊です。
褒められたらいくらでも頑張ってしまいます。



ぶら下げられた人参を追いかけられないのは、お金の使い道が明確に決まっていないからでしょう。
いくら貯めてあれを買いたいという目標を決めても、"買えなきゃ買えないで別にいいか、不便感じてるわけじゃないしな"と思って、途中で失速してしまうんですよね。
そのために頑張れるほど、どうしても欲しいものなんてそうそうあるものではないと思ってます。



目標はもちろんあるに越したことはないのですが、僕のような何かを追いかけられない人間にとっては、今働かせていただいてる会社はすごく良い環境だなと強く思います。
結果が出る出ないに関わらず、頑張ってる姿を見ててくれて、頑張る方向性が違ったらちゃんと結果が出る方向へアシストしてくれる。
上手くいっていない時、悩んでいる時も、「頑張ってるのはちゃんと見てるよ」って連絡をくれる上司がいる。


素敵な環境で仕事が出来ていることが何より幸せです。
5年後、10年後に、あんな人間になりたいと思える人たちに出会えた気がします。



色々と苦労ばかりしてきた人生の中で、思えばいつも、人にだけは恵まれていた気がします。
それもそれである種の才能であるのかもしれません。



さあ、明日からまた頑張ります。

サボり魔のブログ

5月になりました。
全然実感が湧きませんが、一応GW真っ只中らしいです。
今年に関しては何一つゴールデンではない気がしてますし、なかなか外に出られない状態の方も多いのではないかなと思いますが。



それはそうと、はてなブログって1ヶ月のアクセス数は確認できないのでしょうか。
直近と今までの合計しか出てこないので、4月1ヶ月間でどれだけのアクセスがあったかが正確に分かりません。
見方あれば教えていただきたいです。



有り難いことに、こんなブログにも、1日平均で15回ほどアクセスがあります。
ブログというより"オンライン上に公開してる日記"という感じであるにも関わらず、読んでくれてる人がいるのはすごく嬉しいことだなあと思っています。



先日、友達とLINEのやりとりをしている中で、ペペロンチーノが上手く作れるようになったことを報告したところ、「ブログ読んでるから知ってる」と言われました。
しかも「ちゃんと全部読んでる」とのこと。
こういう友達を大切にしていきたいなって心から思います。



そもそも、僕が何でブログを始めたのかっていうところなんですけど、

"僕の持ってる知識を皆さんに伝えたい!"

とか、

"ブログで収益を得たい!"

といった高尚な考えは一切なくて、

"日記書きたいけどノートに書くだけだと多分続かないよなあ"

という気持ちが一番大きいです。
あとは、1人でも共感してもらえる人がいたらいいなあと思うくらい。
そもそも皆様に何かお伝えできる程突出した特技も知識も経験もないんですけどね。



もともとかなり理屈っぽい性格で、文章を書くのは好きな方ではありました。
Twitterも140字フルで使って自分の考えを呟きたいタイプの人間です。
最近は多少丸くなりましたが、大学時代はトゲトゲしいツイートばっかりしてました。
今思えばめちゃくちゃ痛いです。
"みんなが良いと言ってることを良いと言わないオレかっこいい感"が出まくりで、本当に恥ずかしい限りです。



まあ一言で言うとただのめんどくせーやつです(笑)



加えて、前回の記事にも書きましたが僕は超がつくほどのサボり魔なので、ノートに日記を書いても3日ともたずに書かなくなった経験が何度もあります。
部屋の片付けをしてると、1ページ目だけ文字で埋まっているノートが数冊出てきて、こちらもまた同じように恥ずかしくなります(笑)
何回同じことを繰り返してるんでしょう。



なので、ブログにして書きたい時に書くスタイルなら続くのでは?と思って始めたのがこちらのブログです。


今のところ続いてます。
このペースで続いてると言っていいのかは疑問ではありますが、ふとした時にブログに書けそうなこと考えてたりするので、途切れてないのは良いことだと勝手に思ってます。



ただ、
文章を書くのが好き = 上手な文章を書ける
というわけではないので、読みやすく伝わりやすい文章が書けるように努力したいなと思って、こんな本を買いました。




お察しの方もいるかとは思いますが、こちらの本も未だに手をつけていません(笑)


前回のブログにも登場した、
「すぐやる人」と「やれない人」の習慣
という本と同じタイミングで買ってます。


つまりはこちらも1ヶ月以上放置されている本です。


買っても机の上などに積んでいるだけで読んでいない本・新聞・雑誌等のことを、「積読」と言ったりするようですが、完璧に積読の状態です。



はい。読みます。




長くなりましたが、いつも読んでくれてる皆様、1回でもアクセスしてくれたことのある皆様、ありがとうございます。
こんな感じのゆるゆるなブログですが、時々更新しますので、気が向いた時にふらふらっと立ち寄ってやってください。



それではまた。

いい加減どうにかしろ


皆さんは、夏休みの宿題、いつやるタイプでしたでしょうか。
僕は最後までやりませんでした。
ギリギリまで溜めちゃうとか、最終日までやらないとか、良くある話だと思います。
僕に至っては夏休みが終わってしばらくしてから提出するタイプです。


毎日の家庭学習を1学期のうちに3回しか出さずにいたところ、先生との個別面談中に机を蹴っ飛ばされて激怒された中学時代。


春休みの課題として出された現代文の宿題を、永遠と放置し続けて、先生からの追撃ものらりくらりとかわし続けた結果、「お前出さないと本当に単位やれないぞ」と言われて、夏休みの3日前に出した高校時代。


2ヶ月前から予告されていた2000字指定のレポートを、1日前から取りかかり、夜を徹してコピペにコピペを繰り返し、内容度外視でギリギリに提出していた大学時代。


何一つ成長しちゃいません。
自分でも呆れるほどのめんどくさがり、溜め込み屋さんです。
何という自分への甘さ、意志の弱さでしょう。



"次こそは期日までに"

"今回は余裕持って取りかかろう"


と思い続けて幾星霜。
何一つ成長しちゃいません。(2回目)


そんな僕ももう24歳な訳だし、いつまでもサボり癖をそのままにしておく訳にはいくまいと一念発起し、買ってきたのがこちら。



意志の強さは関係ない?
なまけ心、気乗りしないを撃退する?


うーん、自己啓発本の類は個人的にあまり得意ではないんだけど、騙されたと思って読んでみるか!
これを読んでちゃんと"すぐやれる人"になろう!


と思いながら1ヶ月が過ぎました。
いまだに1ページも手をつけていません。



何一つ成長しちゃいません。(3回目)



なんという体たらく。
買って満足してんじゃねえよ。
読まなきゃ意味ねえんだよ。


おっしゃる通りです。
"すぐやる人"になりたくて買った本を"すぐに読まない"あたり、とんでもなく本末転倒だなと感じます。


僕が働く会社の行動指針の一つに、


思考は現実化するが、行動なくして実現せず


というものがあります。


思ってるだけじゃ何も変わらないんです。
思ってるだけで何もしない今の僕は完全に"意識高い系"です。


結局のところ、人が見てないところでは極限まで手を抜いてしまうし、自分に甘い。
職場のデスクは綺麗にしてるけど自分の部屋はめちゃくちゃ汚いタイプの人間です。


一丁前に、
"仕事できるようになりたい"とか、
"成長したい"とか言いますけど、言うだけ。


もちろん、その気持ち自体は本心なので、仕事中の8時間はめちゃくちゃ頑張ります。頑張れます。
一人じゃないから。頑張ってる姿を誰かが見ててくれるから。
すごく悪い言い方をすると、「誰かに見られてるから手を抜けない、サボれない」訳ですよ。


でも、そういう環境じゃないと頑張れないです。
家に帰ってきたら完全にスイッチが切れます。
一人の時にコツコツと小さな努力を積み重ねられる人が最強だし、人として一番信頼されるのは頭では分かってます。
ただ、全くもって何も手につきません。


この壁をぶち破らないことには、きっと人としての成長は永遠にないのだろうなと思います。


このままじゃダメだという思いを脳内でグルグルしてるだけではなくて、些細なことでも行動に起こして継続していかなければと思います。
どうしたら直るんでしょうか。この悪質な怠け癖は。
もう24歳だぞ。いい加減どうにかしろ。


めんどくさがりやへのアドバイスがあれば何でもご一報ください。

守るべきものとは

会社が営業自粛になって、自宅から出られない状態になってから、ようやく1週間が経ちました。
やっぱり活動している時の方が時間経過は早く感じるような気がします。
あと2週間ほどありますが、あまりにも退屈なので思い切ってパーッと遊びに行ってやろうかと思ったりしてます。
ダメと言われるとやりたくなるのが人間です。


カリギュラ効果というやつですね。

カリギュラ効果
禁止されるほどやってみたくなる心理現象のこと。


まあ流石にそんな破天荒なことできませんけど(笑)


会社も学校も、今はもれなく自粛になっているようで、僕の母校の大学も春学期はオンラインで授業をすることが決定したようです。


オンラインで授業をするということは学校に行けないということです。
なので、今学生の間では、今まで学費の内訳に含まれていた「施設利用料」の部分の返還を求める活動が行われていると聞きました。
Instagramのストーリーなどで拡散されていて、オンラインで賛同の意思表示や署名ができ、多くの人たちが大学に訴えかけているようです。


個人的には"気持ちは分かるけどそういうことではないよな…"と思ってしまいます。
決して、ケチケチしないで学費をちゃんと払えと言ってるわけではありません。


確かに、"学校行けなくて施設使わないんだから利用料下げてくれよ!"という言い分も一理あると思います。
僕が通ってたのは私立大学(夜間部だったので学費は国立大学程度でしたが)でしたし、学費の負担を減らしたい気持ちは痛いほど良く分かります。
僕も同じ立場ならおそらく学費下げてほしい返してほしいって感じると思いますし、毎日めちゃくちゃ働いて学費や生活費を捻出してましたし。


ただ、施設を使っていない間も維持するのにお金はかかるわけで、その部分は在籍している学生一人一人が多少なりとも負担をしなければいけない部分ではあると思うんですよね。


使わないから施設利用料返してほしいという文言が通ってしまうのであれば、普段から利用しない学生にも返さなきゃいけなくなってしまいます。
"俺普段から図書館とか学食使わないから施設利用料返してくれませんか?"ということになってしまうわけです。
多少極端な例かもしれませんが。


加えて、大学職員・教授の方々もオンラインの授業なんてほとんどやったことがないでしょうから、色々準備もしなければならないし、今まで紙ベースで進めていたという先生であっても、全てWEB上で配信できるように組み替えなければいけなくなるわけです。
そういう意味では、手間も数倍になっているため、大学側も今はものすごく大変な時期なのかと思います。
当然ですが手間が数倍になったからといってお給料が変わるわけではないでしょうし。


もちろん、学生の皆さんの中には今アルバイトが満足に出来ずに経済的に困窮している方も多くいらっしゃるでしょう。
オンラインの授業は前例がない事が多いため、どうしても質の低下が不安視されたり、様々な不具合が生じて円滑に授業が進まなかったりといったことも考えられるでしょう。


どちらの言い分も間違っていないので、一概に減額・返還をしないことが正しい判断とは言い難いです。


今のところ学費を減額・返還するという大学は出てきていませんが、明治学院大学が全学生に対して5万円を支給するという対応に出ました。
しかしこれは、施設利用料の減額や返還という名目ではなく、インターネット環境やパソコン等の設備を準備するための費用とのこと。


ただ、名目はどうであれ、学生時代の5万円ってすごく大きな額です。
早急にこうやって対応をしてくれると学生としても多少納得がいくのではないかなと感じています。


地震や台風といった自然災害と同じように、コロナウイルスの蔓延もとりわけ誰かが悪いわけというわけではないので、どのように判断を下すのかはとても難しい問題ではあると思います。
会社であれ学校であれ。


最終的に何を守るべきなのか。
世間からの評判なのか、利益なのか、人なのか。
僕個人としては最終的に守られるのは人であってほしいなあと思いながら長文を書いてみたのでした。



P.S.
最後のくだり、あたかも経営者っぽくすごく偉そうに書いてしまいましたが僕は何の取り柄もないただの24歳です(笑)
実際の経営者の方が最終的に何を守るべきなのかは想像もつきません。