脱・エスノセントリズム
春なんてなかったかのように急に暑くなってきました。
コロナウイルスの影響であまり外に出られなかったので、余計にそう感じるのでしょうか。
24歳にもなって半袖が1着しかなかったので、半袖を買いに池袋まで自転車を飛ばしてきました。
気付けば池袋まで15〜20分ほどですんなり到着できるようになりました。
道に迷うこともほとんどなくなり、楽しくサイクリング気分で行けるのは良いですね。
会社に行く道のりの方が個人的には疲れる気がしてます。
地味に緩やかなアップダウンが多いからでしょうか。
それにしても慣れというものは怖いものです。
最初は池袋から家まで帰ってきただけで息が上がってしまい、"自転車通勤できるのかオレ…"なんて思っていたのに。
さて、池袋に到着すると、先週までと比較して体感で1.5〜2倍くらい人が多くて驚きました。
先週まで閉まっていたお店が少しずつ営業を再開していていて、徐々に日常が戻りつつあるのかなあと感じます。
とは言っても東京はまだ緊急事態宣言中ですし、ウイルスが消滅したわけでもないんですよね。
もはや自粛に対して全国民が同じ方向を向くのは難しいと思っています。
倫理的な話になるとまた別ですが、正解はないんですよね。
"かかっても死ぬ確率低いし大丈夫でしょ"
という考えの人がいても別に間違いではないし、
"家から出るなんてありえない、買い物は通販、食事はUber Eatsで済ませる"
という考えの人も同様に間違いではないでしょう。
前者のような人は散々に叩かれてしまうので悪とされがちですが、正直自粛が法律で定められているわけではないので、一定数そういう人がいても仕方のないことではないのかなと思っています。
もちろん自粛の動きが必要か必要ではないかと言えば、外出を控えて、密を避けることは必要だと僕は思います。
この時期にマスクも着けずに普通に遊びまわってる人のことを擁護したいわけでもないですが、叩こうともしてないです。
何してんだよとは思いますけど。
ただ、変な正義感で、価値観や考えの違う人に押し付けるのはいかがなものかと思ってしまうんですよね。
自粛警察や他県ナンバー狩りもそうですが、同調圧力が強すぎるのではないかと思います。
国民性の一言で片付けてしまえばそれまでなんでしょうけど。
自分は正しいと思い込んでしまうことほど危ないことはないと思っていますし、正義なんて形のないものは、人によっても状況によっても変わってくるものです。
強制じゃない以上、100%は無理です。
分かり合えないならそっと離れたらいいじゃないですか。
考え方は違えど、その人にはその人なりの"正しい"があるんだと思います。
正しいと正しいがぶつかり合うから戦争が起こるんです。
と言いながらもきっと僕自身も根底にあるのは、エスノセントリズム(自文化中心主義)的な考え方で、自分と違う考えの人をすごく排斥したがるし、心の底では否定したくなります。
文化相対主義的な考えができる人になりたいと思っていますし、それができる人こそ酸いも甘いも知り尽くした大人なんだろうなあとは思いますが、僕はきっとまだまだ子どもなんでしょう。
言葉や態度に出したりすることはないですが、自分と違う人に嫌悪感を覚えてしまうことがいまだに多いです。
最終的には国民ひとりひとりの倫理観に委ねる部分ではありますし、"人としてどうなのか"ということになってきます。
ただ、ウイルスに関しては拡散してしまうものですし、自分1人の問題ではないので、個人の倫理観がどうとか言ってる場合でもないと感じたりもしますが、そうは言っても自分さえ良ければいい人も世の中には一定数いますし、多分そういう人たちには何を言っても聞いてもらえないでしょう。
相手を否定しない、背景を理解すること。
同調できなくてもいい、違うことを認めること。
普段からすごく心掛けていることではあります。
できているかは自信持って言えませんが、少なくとも"オレと考え方が違うからお前はダメなやつだ"といったエスノセントリズム的な考え方からは脱却できるといいなあと思っています。