手札

知識と教養、経験はあった方がいい。


ここ最近までずっとそう思っていた。確信を持っていた。ずっと。
だけど今になって、"本当にそうなのか?"と
その確信に翳りが見えてきた。
少しだけ反駁したくなってきたのだ。


前回のブログで、
「年々コミュニケーションが下手になっている」
と書いた。
(読んでない人はぜひ読んでね)


逆説的に言えば、
「昔の方が上手にコミュニケーションが取れていた」
ということだ。


しかし正確にはこの表現は適当ではなくて、
正しく噛み砕くと、


コミュニケーションの質自体は変わってないが、
(もしくは成長しているのかもしれない)
選択肢が増えすぎたことで自分の首を絞めている


ということになる。


そして更に突き詰めると、
コミュニケーションに限ったことではないことにも当然思い至る。


更に更に平たく言うのであれば
(だったら最初からそう言えよという話なのだが)

「若いって最強じゃね!?」

という一言に集約される。


ブランコで一回転できると本気で思っていた。
本気でやってやろうとただただ全力で漕いだ。


滑り台の頂点から飛び降りて見事頭から落下、
血の海を作り父の車で病院へ直行した。縫った。


浴槽の縁に立ち上がり、
案の定足を滑らせて窓枠に頭をぶつけ、
目の上を華麗に裂いて
湯船をまたまた血の海にした。そしてまた縫った。
――おかげさまで保育園の卒園式で撮った写真の
僕の瞼には痛々しい絆創膏が貼られていた――


遠足の前日、おもちゃの家
(と言っても子どもが数人入れるサイズの大きなものであったが)
の屋根から飛び降りて、
翌日捻挫した足で泣きながら遠足へ行った。


そんな在りし日の鈴木少年はどこへ行ったというのだ。


あの頃のわんぱく小僧の面影は
霧のようにすっかり散ってしまった。


そうだ。あの頃は何だってできた。できる気がしていた。
リスクを考えずに何にだって挑んだ。
そもそもリスクという概念すら存在しなかった。
最強だったんだ。


さあ、果たして大人になった鈴木青年はどうだ。
リスクばかりが頭を過る。
極力派手なことはしたくない。
良くも悪くもあまり目立ちたくはない。
余計なことはしない。
どこぞのパンのキャッチフレーズのようだ。


……ブランコ?
チェーンが錆びていて切れちゃったらどうするのよ。
危ないったらありゃしない。



かくして僕はかつての少年と
同じ人間とは思えない変貌を遂げた。
今となっては

絶叫系がダメ
高いところがダメ
人混みがダメ

見事なトリプルスリー達成。
スロットだったら万枚大当たりのビビり誕生。
――こうして僕を遊園地に誘う友達はいなくなったのである――


少し話が逸れたがこれは対人関係、
つまりはコミュニケーションにおいても変わらない。


優先席で老人に席を譲る。
……じゃあ老人っていくつから?
「年寄り扱いするな!!」とか言われたりしない?


女性に年齢を聞く。
こちらとしては単純な疑問だとしても
「普通女性に年齢なんて聞かないでしょ!?」
とか言われたりしない?


エトセトラ。


そう。
今まで散々積み重ねてきたはずの
あらゆるコミュニケーションによって、
僕の体現する(もしくは体現することができたはずの)
言動のキャパシティが逼迫されている。


経験値が上がり一見レベルアップしているようで、
実態はレベルダウンしているようにすら感じるのである。
ああ、何というアイロニー


つまりは、"若い"というだけで許容されてきた言動が、
歳を重ねるにつれて許容されなくなってきている。


からしたら羨ましいことでも
当人からしたらコンプレックスな場合があるから
身体的特徴には触れない方がいい。


居酒屋では野球と宗教の話はしない方がいい。


「この間これ言って地雷踏んだしな」
「昔こんなことして怒らせちゃったしな」
「この話ダメだった人いたな」
「歳上の人になるほどって言っちゃいけないってネットで見たな」


エトセトラ。


……じゃあ一体僕は何を話せばいいの?


……会話ってこんなに難しいものだったっけ?


そうやって考えれば考えるほど言葉に詰まり、
本当は話したかったことが話せなくなっていく。
伝えたい気持ちがするすると掌から零れ落ちていく。


所謂"コミュ障"というやつ。
間違いなく僕もその仲間入りを
立派に果たしている自覚がある。大いにある。
由々しき事態である。


手持ちの言葉、つまりは選択肢が多すぎるのだ。
しかも一部に予期せぬ目論見を包含したそれが。
単純に言葉を投げかけるという行為に
知らぬ間に悪意のない棘が混じり込んでくるのだ。


「そんなつもりじゃなかったのに」
「傷つけるつもりなんてなかったのに」
口では何とでも言える。


ただ事実、相手は傷ついていて、
棘が意図的に仕込まれたのか、
予期せず入り込んだのかなんて
当然何の意味も持たない邪推に過ぎない。
「言葉は刃物」とは良く言ったものだ。


一方で当然リスクという概念を覚えたメリットもある。
危険だと想像ができること、
もしくは危険だったと想起できることは
最初から避けられるようになった。


潜り抜けられる修羅場も増えた。
(何とかした場合もあれば
結果論たまたま何とかなった場合もあるが)


これに関しては経験や取り入れてきた知識の賜物であって、
「年の功」なんて言われ方もする。


そういう意味では知識や教養、経験はあった方がいい。


……が、やはり息苦しさが勝つ。
そして何より未だに地雷を踏み続けている。
どれだけ相手を慮っても、見事に踏む。盛大に。
傷つける。傷つく。
何故だ。狂おしいほどに上手くいかない。
逆に美しいとまで言える。
口惜しい。無力。


どこへいったんだ僕の手札は。
経験値は。知識は。教養は。役立たずめ。


10年後、20年後、
この息苦しさからは解放されているのだろうか。
無事に地雷探索機を手に入れているだろうか。


使えなくなった手札に変わる、
インフレーションを遂げた新しい手札が
僕の手元には入ってきているのだろうか。


地雷原を飄々と走り抜けられる脚力は備わっているのだろうか。
見極められる眼力は。


脱・コミュ障に向けた青年の足掻きはまだまだ続く。

仮面


お久しぶりです。
初めましての方もいるでしょうか。


このブログの存在を知ってる人は
僕との付き合いがある程度長い人でしょう。
(何せ更新前最後の記事が4年前なので)


あまりにも更新が途絶えすぎて
一旦全てをリセットしようということで
過去の記事は一度全て非公開にしました。
このブログのタイトルを
RESTARTにして良かったなあと思った瞬間でした。


今までは1つの記事に対して2000字程度でしたが、
もう少し短めにして投稿頻度を上げていく予定です。
(ただしあくまでも予定)


さてさて、最近強く感じることなのですが、
癒しがほしいです。

急に何を言い出すのかという話なのですが、
癒しがほしいのです。


否定はしません、疲れています。笑


疲れたら休めば良いだけのような気がしますが、
僕の中で一概にそうとは言い切れない部分があって、
それはある種、
「長年住んだ実家に帰る」とか、
「熟年夫婦のような佇まい」だとか、
そういった類の安心感を求めているのであって、
例えば、
「旅に出たい」とか、
「ペットを飼いたい」とか、
そういった類ではないんだろうなと漠然と感じます。

簡潔に言うと
「会いたい」と言ったら「会いたい」
と返してくれる、そんな確信が持てる、安心感。

ただ心を弛ませるだけではなくて、
(もちろんそういう安息も必要だし
欲しかったりするのですが)
実家のような充足感を切に求めています。


友達(ここで言う友達は広義です、
先輩後輩、知り合いも包含します)が
多いようで少ないんですよね。


会話風の言葉のやり取りをしているだけの
空疎な人間関係だったり、
そういったコミュニケーションにおいての虚脱感だったり、
何だか自分の心に重たい仮面のような何かが
ついているような感覚がします。


もちろんそれを取っ払える能力が低い、
所謂おしゃべりが下手くそであることは
大前提として重々に承知しているのですが、
今回はそれを全て堂々と棚に上げさせていただきます。笑
(頑張るけどね!!!!!)


その仮面のような何かは
時として本音を遮ってくれる盾となり、
余計なトラブルを防いでくれる
有用なツールになるのですが、
何だかそのまま自分の心と
すっかり癒着してしまうのではないかという
何とも形容しがたい不安が常にあります。
もしかしたらもうすでに
癒着しているような気さえします。


例えるのであれば中国において
かつて行われていた纏足のように、
心が仮面のような何かによって
解放されないまま
成長や安息が妨げられて
しまうのではないかという
危惧の念を感じています。


裏を返せば、
その仮面らしき物を一切取っ払った
実体の伴ったコミュニケーションができる関係が
今の自分には必要なのであって、
それが僕の中で言う癒しになるわけです。


当然それには
そういったコミュニケーションが取れる関係を
再構築しなければいけないし、
構築に至るまでの月日も必要になってくるし、
一朝一夕には手に入らない物ではあるのですが、
最早それを構築するのすら億劫になっています。


すると尚更コミュニケーションが
年々下手くそになっていってる感覚に
襲われるんですよね。
(これはまた別の記事で書こうかなと思ってますが)


大人になりきれていない。
その一言で済ませてしまえば
簡単なのかもしれませんが、
歳を取るに連れてあらゆる制約に
雁字搦めにされているような気がします。
蜘蛛の糸にかかった蝶のように、
ジワジワと終焉を迎えるのを待っているだけの状態。


そんな時だからこそこうやってブログを書くわけです。
自分の考えを一方的に投げつける。
誰が読んでいるかも分からない、
誰かに届いているかも分からない、
それでもこの鬱屈した感情を発散したい、
ある種のマスターベーションとも言えるかもしれません。


それによって僕が直接的に癒しを得られるかと言えば
もちろんそんなことはないのですが、
仮面と心との癒着を遅らせるという意味では
多少は有用かなと思うわけです。


とどのつまり、僕のブログは大半が
叙情詩的なブログになるわけであり、
叙景詩的なブログはとても苦手なわけです。
(チャレンジしたこともあるけど
途中まで書いてあまりにも
取り留めないことに気付きやめた)


なので、冒頭で申し上げた通り、
更新頻度を上げるのはあくまでも予定であり、
頻度は僕の気分次第というわけです。


というわけで結局長くなってしまいましたが、
(結局2000文字を超えてしまっている)
なんか最近寂しくね?という話でした。


それではまた。