火加減にご注意
ついに先日からうちの会社も営業自粛になりまして、お家から出られない日々が続いています。
有意義に過ごさないとなあと思いながらも、何をしたら良いのかを見出せないままだらだらと過ごしてしまっています。
寝っ転がってYouTubeを見てるだけなのにお腹が空くのが人間の悪いところです。
僕は家で寝てるだけで、何も生み出していないのに消費だけはしっかりしないと生きていけないなんて、こんなに効率の悪いこともなかなかないでしょう。
働いてない時はご飯を食べなくてもいいように進化してもらえないものでしょうか。
とまあそんなことを言ってても結局お腹は空くわけでありまして、ご飯を食べなきゃ生きていけません。
僕は普段からコンビニ飯や外食が多く、自炊しなきゃなあ…とは思うけどめんどくさすぎて何もしない人間です。
ただ、結構な頻度で雨に降られるし、その都度コンビニにご飯買いに行くのも面倒なので、ちょっとは自炊をしてやろうと思い、思い切って米5kgとパスタ5kgをAmazonで購入しました。
パスタ5kgは完全に業者のレベルですが(笑)
健康を意識して自炊をすると言うよりは、なるべく安くたくさん食べたいから自炊をすると言う方向性なので、栄養面やおしゃれは度外視です。
何であろうとお腹いっぱいになればいいんです。
何のパスタを作ろうかと悩んだ結果、材料が少なくて済みそうなペペロンチーノにしました。
サクサクっと材料を買ってきて、ちょこっとレシピを調べて作ってみたものがこちら。
焼きそばになりました。
ちなみにこれ、醤油もソースも入れてません。
だってペペロンチーノですから。
オリーブオイルとベーコン、小松菜、ニンニクと鷹の爪以外は何も使ってないです。
味付けで塩胡椒を振ったくらい。
何でこんなに茶色くなるんでしょうか。
ニンニクと鷹の爪は焦げて真っ黒。
恐らく火力が強かったのでしょう。
普段料理をしない男が適当に作るとこうなります。
ちなみに味も、塩を振りすぎたのかめちゃくちゃしょっぱくて、お世辞にも美味しいとは言えませんでした。
美味しかったら別に良かったんですけど、美味しくもなければ僕が知ってるペペロンチーノとも違ってなぜか無性に悔しくなったので、YouTubeで30分ほど反省と復習。
翌日。リベンジマッチ。
めちゃくちゃ美味しそうって訳ではないけど焼きそばではなくなりました。
ペペロンチーノっぽさは出てきたかと。
パスタの茹で汁をオリーブオイルに混ぜて乳化させる工程があるのですが、直前まで覚えてたのに普通に茹で汁を捨ててしまったので、ややオイリーになってしまいました。
ソース作り失敗です。
味もペペロンチーノっぽくなってきました。
昨日よりは格段に美味しくなってます。
しばらくペペロンチーノ作りまくるので、上手にできるようになるまで頑張ります。
ずっと男の子でいたい
NASAが太陽系外惑星の中で、サイズと温度の点で最も地球に似ている惑星を発見したというニュースを見ました。
その名も、「kepler-1649c」
カタカナで読むと「ケプラー1649c」となります。
どれだけ地球に似ているか見ていただきたいので、以下のサイトを引用させていただきます。
画像出典:engadget日本版
ほぼ地球と同じ大きさ、温度。ケプラー初期の「埋もれたデータ」から新たな太陽系外惑星
大きさほぼ同じにしか見えないですよね。
ビジュアルは我らが地球の方が青くて美しいですけど。
ちなみに、この引用をしたいがために僕はおよそ30分ほどをネットサーフィンに費やし、著作権のこととHTMLの書き方調べました(笑)
おかげさまで少しはブログっぽくなりました(笑)
HTMLって面白いですね。
文字を斜めにしてみたり
ちょっと強調してみたり
はたまた取り消しをしてみたり
漢字に振り仮名を振ってみたり
ちょっと知るだけで表現の幅が広がりそうです。
話が逸れましたが、このケプラー1649c、地球から300光年離れた場所に存在するそうです。
温度が地球に近いため、水が液体のまま存在できると推定されています。
ただ、大気があるかどうかはまだ確認されていないそうです。
宇宙人いそうじゃないですか?
ケプラー1649cに住んでる皆様も、
「EARTHって惑星があるらしいぞ?もしかしたら何か生き物が住んでるんじゃないのか?」
と思っているかもしれません。
映画の世界がいよいよ現実になる日も近いのでは…?
そうは言っても300光年離れているので、なかなか訪れるのは難しい話でしょうけど、いつかきっと離れた星にも行ける時代が来るのではないか、いや、来てほしいと願っています。
僕はこういうニュースにすごく心が躍ります。
宇宙や海、新種の生物といったニュースは特にワクワクします。
男の人って少なからずそういう一面を持ってるんじゃないですかね。
こんなにも文明は発達していて、大勢の科学者や研究者が一生を費やしているのに、まだまだ分からないことが山積みなんですよね。
それだけ宇宙も海も広くて壮大なんだなといつも思います。
だから僕は、宇宙人も幽霊もネッシーもツチノコもUFOもみんな存在すると思ってます。
いつかそういうかねてからの謎が解明されたらすごく面白いなと思うし、いくつになってもそういうニュースにワクワクできる男の子でいたいなと思うわけです。
お家から出られないのでとても退屈ですが、何かワクワクできること探して有意義に過ごしたいですね。
アナログ
だいぶ日が空いてしまいました。
もう少し時間見つけて書きたいなあと思ってます。
ごめんなさい。
つい最近自転車を買ったばかりなのに、ここのところ雨が多くてなかなか乗れていません。
買ったばかりの自転車が駐輪場で雨ざらしにされているのを見るのはなんとなくかわいそうですが、屋根付きの立派な駐輪場ではないので仕方ないですね。
自転車通勤ができないとなると、今まで通り傘を差して駅まで歩くしかないわけで、雨が強い日はそれだけで靴の中まで濡れてしまって、朝から随分と不快にさせられます。
掃除機が自動で部屋の中を駆け回り、チェスの世界では人間がコンピューターに敵わなくなったりして、AIとか5Gとか言われているこのご時世に、"なぜ傘は未だに傘のままなんだ!?"と常々思っています。
「差すだけで99%雨を防ぐ傘」とか、
「自動で雨や風の強さを検知して、濡れにくい形に変化する傘」とか、
あってもおかしくないじゃないですか。
トトロでさえ蓮の葉を雨除けで傘がわりにしてるのに。
蓮の葉との違いなんて、閉じられるか閉じられないかだけだと思うんですよ(それは極論すぎ?)
調べてみたところ、傘自体は約4000年も昔から使われていたようです。
ただ、当時の傘は閉じることができず、比較的暑い地域で日よけや権威の象徴として使われていました。
13世紀頃から、イタリアで閉じられる傘が使われるようになりましたが、当時は婦人が日傘やアクセサリーとして使うものでした。
鯨の骨や木が枠組みとして使われていたそうですが、結構重そうですよね(笑)
18世紀の後半になってようやく、雨傘としての傘が普及し始めました。
しかも、当時傘と言えば女性が使うもので、男性は帽子で雨をよけるのが一般的だったそうです。
ジョーナス・ハンウェイという商人が、変人扱いされながらも雨傘を使い続けたことで、男性が傘を使うことに対しての偏見がなくなっていったとのこと。
今は傘と言えば雨の日に使うもの、男女問わずみんな使うものというイメージですが、意外と昔は一般的なものではなかったのですね。
それにしても、雨傘として使われ始めてから200年近く経った今現在でも、あまり形を変えずに使われているのを見ると、アナログだなあとつくづく感じます。
折り畳み傘や軽量化されたものが普及したという部分はありますが、結局足元がびしょびしょになるという点では何も変わっていない訳です。
つまるところ、"傘とは足が濡れて当たり前のものなのだ"という諦念も含まれているのかなと思ったりもします。
「濡れたくないなら雨合羽を着ろよ」ってことなんでしょう。
雨の日に雨合羽着て自転車で通勤…
ちょっと辛いなあ。
しばらくは傘でいいか。笑
外出自粛はきついけれども
とどまる所を知らないコロナウイルスの勢いが恐怖でしかありません。
都内では1日に100人以上が感染、芸能人やスポーツ選手といった感染対策にすごく力を入れている人たちですら感染している状態です。
「100人以上が感染」と言いますけど、正確には「100人以上が何らかの症状を訴えて病院を受診したことによる陽性発覚」ってことですよね。
無症状で保菌状態の人はおそらくその何倍もいるでしょうし、体に何かしらの異変が出ても病院に行かない人もいるでしょう。
森三中の黒沢さんも、熱などの症状があったわけではなく、味覚や嗅覚に異常があったことで検査を受けようと思ったそうです。
これは阪神の藤浪選手が嗅覚障害を訴えたことが報道されていたからで、そうでなければもしかしたらそのまま放置されていたかもしれません。
まして一般人では、多少味覚や嗅覚がいつもと違うからといって即病院や保健所に連絡を入れる人の方が少ない気がします。
もしかしたら自分も保菌者になっているかもしれないという気持ちを持っていてほしいですよね。
ここ数日で爆発してるということは、約2週間ほど前に菌をもらった人たちがついに発症したということになります。
2週間前と言うと、春分の日を含めた3連休に当たります。
このタイミングで都心へ外出した人たち同士の接触が、ここに来て大きく感染者を伸ばす原因になっているのは火を見るより明らかでしょう。
3月第2週(3月14〜15日)と比べて、原宿竹下通りで若者世代の来訪が25%増加、銀座や六本木で55歳以上の来訪が約30%増加したとのデータも出ています。
加えて、お花見シーズン真っ只中ということもあり、新宿御苑や千鳥ヶ淵をはじめとする都内のお花見スポットに訪れた人は50%以上増えたとのこと。
確かに3月末から4月現在ほどの自粛ムードはなかったとはいえ、危機感がなさすぎるような気もします。
都内のアパレルで働く友人に聞いても、「昨日(4月4日)めちゃくちゃお客さん来たよ」とのことで、こんな時期に服を買いに行くことは不要不急の外出に当たらないのか!?とすごく不思議に思います。
発症してから、周りの人に移してしまってからでは遅いので、身の振り方を考えるべきでしょう。
自分も含めて、仕事や個人の都合で仕方なく都内に来なきゃいけない人もまだまだ多いと思いますが、手洗いうがいやマスク着用、なるべく人が多いところに近づかないなど、できることはあると思うので、一人一人が危機感を持って対応してもらえることを願います。
またコロナの話をしてしまいました。
本当は4月から「改正健康増進法」による屋内喫煙の原則禁止で、僕たち喫煙者からしたらすごく肩身が狭いなあという話をしようと思っていたのに…(笑)
その話はまた今度書きます。
1つ目の記事と似たような内容になってしまってごめんなさい。
年度最終日
2019年度が今日で終わります。
こういう節目の時にはいつも思うことがあって、何もない1年というものは有り得ないってことです。
365日もあったら何かしら大きなイベントはあるでしょう。
なんて理屈めいたことを思っている反面、思い返してみると1日単位で何があったかなんて全然覚えてないんですよね。
毎日同じことの繰り返しで、特別に何かが変わったとか、意識して何かを変えたとか、全くなかったりするのも事実です。
月に1つで良いから、「今月はこれを頑張った!」とか「こんなことが印象に残った」と言えるものを作りたいなと思います。
今年度は24年間生きていた中で、ベスト3に入るくらいには色んなことがあった1年だった気がしてます。
京アニの事件があったり、かつてないほどの大きさの台風が来たり、消費税が10%に上がったり、年が明けてからはコロナウイルスが猛威を奮ったり。
1番大きなところでは元号が変わり、令和になったことでしょうか。
個人的にも、1年前に父が亡くなったり、学生ではなくなったり、新しい会社に入ったり、色んな人との出会いや別れがあった1年でした。
こうやって大変なことばかりが続く今日この頃ですが、ありがたいことに人にだけは恵まれて、24年間生きてこられています。
巡り合わせというものは100%自分で選ぶことができない側面もあり、人に恵まれるということは本当に素晴らしくありがたいことです。
仕事も遊びもそうですが、"何をやるか"より"誰とやるか"だと思ってます。
1人で背伸びしてちょっと高いランチをするより、気心知れた仲間とカップ麺食べてる方がよっぽど満たされるのはきっとそういうことなんでしょう。
仕事ができるとか、頭が良いとか、背が高いとか、長所って人それぞれだと思いますが、まず根本として人として信頼される人にならないといけないと強く感じます。
信頼して頂いてる人を裏切ることほど人として情けないことはないでしょう。
僕は恥ずかしながらその経験がありますが、やはり信頼というものは簡単には戻ってきません。
100%回復できる方が稀ですし、そもそも100%の回復は無理だろうと思っていた方が良いです。
「人を裏切った経験がある」
これは揺るぎない事実で、消すことのできないレッテルとして貼られ続けるのです。
その上で未来をどう生きるか。
ここをもっと掘り下げて考えていかないと、あっという間に25歳になって、また「あんまり変化のない1年だったなあ」というお粗末な結果になってしまうのでしょう。
信頼している人の話しかちゃんと聞こうと思わないし、逆に言うと信頼されていないと話をまともに聞いてもらうことすら難しいのです。
春から(もう明日からです)新入社員も入ってきます。
否が応でも上司、先輩になるのです。
僕が周りに対して抱くような信頼を、自分にも抱いてもらえるような人になれたらすごく幸せだなと思います。
人の悪口を言わないとか、遅刻をしないとか、小さいけれど当たり前のことをコツコツとこなせる人になりたいです。
加えて言うなら、「あの人仕事もできるな」と結果でも示したい…笑
それにはまだまだ努力が足りないのでもっと頑張ります。
START
ブログブログと言いますけれど、「そもそもブログって何だ??」ってずっと思ってました。
Web(ウェブ)上にlog(ログ:記録)を残すという意味のWeblogの略だそうです。
調べたら何でもGoogle先生が教えてくれる便利な世の中です。
何でも片手で分かってしまうので、世の中に知らないことなんてないんじゃないかと時々感じてしまいます。
何か分からないことがあればすぐに検索をする。
解決はするし、スッキリはするのですが、すぐに忘れちゃうんですよね。
まあブログの語源が何かなんて、忘れてしまったたころで特に支障はないんですけど、こういう流れ作業的なものがすごく悲しく思えてしまうことがあります。
どうも全く自分の頭で考えるという作業をしなくなってしまった気がします。
さて、コロナウイルスがいよいよ手を付けられなくなってきました。
今朝、起きてTwitterを開いたら「志村けんさん死去」のニュース。
目を疑いました。信じられません。
3月29日には東京都内で68人が感染しました。
1日の感染者数としては過去最多とのことです。
加えて関東の都県においては週末の不要不急の外出自粛要請。
一向に終息の気配を見せないことに、かなりの不安を覚えます。
正直なところ、ついこの間まではコロナウイルスに対して、"そんな大騒ぎすることなのかな?"と思っていました。
症状は風邪と似たような症状、若年層は軽症例が多いこと、致死率も2%程度。
毎年毎年インフルエンザが流行ってるのと同じような感覚でいました。
もちろん、亡くなった方が大勢いることに関してはとても痛ましいことですが。
ただ、ここ最近の動きを見ていると、20代の男性が髄膜炎を併発した例が出てきたり、潜伏期間が長い上に感染源が不明のため無症状拡散のおそれがあったり、ロックダウンする可能性が出てきたり、自分が軽症で済んだとしても周りに感染させてしまった時のリスクの大きさに遅ればせながら気付き始めました。
このまま、"あくまで自粛だし別にコロナにかかっても風邪くらいなんでしょ?"という意識の人たちがいる限りは、感染拡大を防ぐことは難しいと思います。
遊びに行きたい、外に出たい気持ちもすごく分かるのですが、そのせいで終息が遠のき、ロックダウンになったら結局もっと長期間遊べなくなるのだから、この時期だけでも自粛できないものでしょうか。
ロックダウンになって働けなくなったら経済的に困るのは我々若年層だと思いますし、自分の身は自分で守るという意識をもう少し植えつけていかないといけないのではないかと強く感じている今日この頃であるのでした。