RESTART

ゆるゆると。

歳だけとって子どものまま


あっという間に6月に入り1週間が過ぎてました。



仕事の日は書く気になれず、
そのまま他のことして寝ちゃってるので、
休みの日に書くくらいしかできてません。



5月の総アクセス数は477回でした。



ありがたいことにこんなブログにも、
1日平均約15回のアクセスがあるそうです。



いつも読んでくれてる方、ありがとうございます。



仲良しの友達からは、ブログ読んだ感想とか、
僕の文章が好きとか、色々な声をいただきます。



そういう声がノートに書く日記と違うところで、
原動力になるよなあとひしひしと感じています。



さて、名前をつけたい現象、名前が気になる現象
っていくつかあったりするものだと思います。



与えられた課題をギリギリまで
溜めちゃうこととか(単なるサボり癖)、
ネット検索をしたくてブラウザを開いたけど、
「あれ、何て検索しようとしたんだっけ」となる現象とか。



雨が降った時に地面から上がる匂いにも
名前がある(ペトリコールと言います)世の中なので、
多分研究している人たちが何かしらの名前を
つけているんでしょうけど、気になって仕方がないです。



一番気になる現象が、
当時の彼らに追いつけない現象です。



はい、ネーミングセンスのなさがお分かりかと思います(笑)




高校生の頃、大学生が
めちゃくちゃ大人に見えませんでしたか?
同じように、大学生から見た社会人って
もはや格が違うと思ってました。



あの頃はめちゃくちゃかっこいいと思っていましたが、
いざ自分が大学生になってみたら、

「あれ?思ってたのと違う」

「何も変わってなくね?」

ずっとこんな感じです。
永遠に追いつけません。



歳だけとって何も変わってない気がします。



みんなそういうものなんでしょうか。



理想だけが先走っているのか、
単純に補正がかかってるだけなのか。
ある種偶像崇拝的なことになるのかもしれませんね。



好きな人がかっこよく、可愛く見えるという現象に
似て非なるものなのかなあと思ったりはしています。



正直なところ、自分に満足することなんて
一生ないのかなあとは思っています。
欲深いのが人間ですからね。



めちゃくちゃお金持ちになっても、
際限なくもっともっとって追いかけそうです。



じゃあそんな中で、何をしたら比較的満たされやすいのか。



誰を、どこを目指すべきなのか。



なかなか決まりません。



先日、先輩から海釣りに誘っていただきまして、
初めての釣りに行ってきました。



その時に、

あーなるほど、こういうことか

と思ったわけです。



知らないことが多すぎるから、
やりたいことが見つからないんだ

と。



やりたいことがないってことは、
まだ知らないことがそれだけあるとも言えるわけです。



そのどこかで、何かハマるものが出てくるかもしれません。



やったことないことにチャレンジをすると、
人としての深みがどんどん増していくような気がします。



ただ、釣りなんて1人じゃ絶対行かなかったし、
誰かに誘ってもらわないと絶対にやらなかったものです。



そういう機会をどれだけ増やしていけるか。



そういう機会を増やしてくれる人とどれだけ付き合えるか。



そこが人生を豊かにする上でのキーポイントのような気がします。



結局のところ1人じゃ何にもできないし、
楽しいことも1倍にしかならないんですよね。



良くあるじゃないですか。



「楽しいことは2倍、嫌なことは半分に」



みたいな歌詞。



きっとあんな感じで、
たくさんの人と一緒に感情を共有することで、
満たされる気持ちが強くなっていくんだろうなと
感じている今日この頃です。



そういう繋がりを欲している今日この頃です。