RESTART

ゆるゆると。

1:29:300

 

 

すごく久しぶりにブログを書いています。

 

 

正確にはすごく久しぶりにブログを公開しました。

 

 

ちょこちょこ書いてはいるのですが、

途中まで書いた下書きばかりが増えていって、

全く公開されぬままでいます。

 

 

気が付いたら年が明けて、

気が付いたらまた一つ年をとっていました。

 

 

あけましておめでとうございます。(遅すぎる)

 

 

あ、それから、髪色が随分と明るくなりました。

どんどんチャラさが増していきます。

 

 

数ヶ月で人間結構変わりますね。

 

 

さて、先日、数年ぶりに映画館を訪れました。

 

 

もともと家でも劇場でも映画を全く観ない人間でして、

かつては大好きなコナンの映画の上映中にすら

しっかり眠ってしまっていて、

気が付いたらコナンくんが

雪に埋まっていたということもあります。

 

 

快適な温度、座り心地の良い椅子、体に響く音響。

そりゃ気持ちよく寝ちゃうわけです(??)

 

 

話が逸れました。

菅田将暉さん、有村架純さん主演の

「花束みたいな恋をした」

観てきました。

 

 

恋愛映画は植物図鑑以来5年振り2度目なもので、

(甲子園出場校みたいに言うな)

目が肥えてるわけでも何でもないのですが、

しっかり涙と鼻水垂れ流して見入ってしまいました。

 

 

ネタバレになるようなことは書かないつもりですが、

もしネタバレ含んでたらごめんなさい。

 

 

観てない方はご了承の上で読んでください。

 

 

 

単純に恋愛がしたくなる、

恋人が欲しくなる映画かと言われれば、

一概にそうとは言い切れない、

むしろ人によっては

"恋愛って大変だな、めんどくさいな"

と思う人もいるような内容でしたね。

 

 

恋愛の辛いことも甘いことも全部詰め込んだ、

ある意味ではすごく目を背けたくなるような

現実味をたっぷりと含んだ映画でした。

 

 

恋愛と結婚は違う

とか

恋と愛の違いって何だろう

 とか、

 

 

この映画を観たら一発で意味が分かると思います。

 

 

内容をすごく簡単に噛み砕けば、

菅田将暉さん演じる麦くんと、

有村架純さん演じる絹ちゃんの

運命的な出会いから別れまでの

5年間を描いたお話です。

 

 

トータルで見て、

やっぱり生きるって大変だな

ってすごく感じた映画でした。

 

 

劇中、2人の

"やりたくないことはやりたくない"

"やりたくなくてもやらなくちゃ" 

がいつの間にか入れ替わっていました。 

 

 

最初は、

「やりたくないことはやらなくていいよ 」

と言っていた麦くん。

「やりたくないことだけどやらなくちゃ」

と言っていた絹ちゃん。

 

 

いつの間にか、

「やりたくなくてもやらなきゃいけないんだよ」

と麦くんが言って、

「私はやりたくないことはやりたくない」

と絹ちゃんが言っていました。

 

 

きっとそれぞれが、

それぞれの価値観で大人になったのでしょう。

 

 

大人になる

責任を持つ

 

 

イコールやりたくないことをやらなきゃいけない。

 

 

でも麦くんからしたら、

それが好きな人のためであるし、

2人でずっと一緒にいたいがためであるわけで。

 

 

絹ちゃんからしたら、

やりたくないことはやりたくない、

ずっと昔のままの2人で楽しく生きていたい、

そうやって過ごしたいがための発言であるわけで。

 

 

理想と現実の間のどこで線引きをするか、

ものすごく言葉を悪くするのであれば

どこまで"妥協"するのか。

 

ものすごく難しい部分だと思います。

 

 

 やりたいことをやってる時の

あの若々しい、いきいきとした、

エネルギッシュな感じ。

好きなことを語ってる時の

みんなが子どもに戻ったかのような表情。

 

 

恋人に限らず人のそういう姿はやっぱり魅力的だし、

同じようにそうやって生きられたら最高だなと思います。

これはきっと100人いたら100人が同じでしょう。

 

 

ずっとそうやって生きられたら

この上なく幸せなわけですが、

やっぱり現実はそう甘くはないわけです。

 

 

やりたいことをやるためには

やりたくないことをやらなければいけないし、

ひいてはやりたいことやずっと追いかけてきた夢に

見切りをつけなければならないことも大いにあります。

 

 

 やりたいことをずっとやって生きていたい絹ちゃん。

やりたくなくても2人の"現状維持"のために頑張る麦くん。

 

 

どちらも正しいのでしょう。

 

 

すごく薄っぺらい言葉にしてしまうと、

"考え方の違い"ってやつですね。

 

 

小さなズレがどんどん大きくなっていく。

 

 

そして最終的にもうどうしようもできなくなる。

 

 

マーケティングの世界では、

ハインリッヒの法則(別名1:29:300の法則)

と呼ばれる法則があるそうです。

 

 

1つの重大な事故の背景には

29の軽微な事故があり、

さらにその背景には300もの異常がある

 

 

という法則ですね。

 

 

勝手に恋愛に当てはめてみましたが、

割としっくりくるような気がしてます。

 

 

たださすがに300も些細な異常があるなら

もうちょっと早く別れろよと思うので、

数字的にはもっと少なそうですが。笑

 

 

 

またまたちょっと脱線してしまいましたが、

恋愛の大半はそうやって終わっていくような気がしています。

 

 

いや、恋愛に限らないのかもしれないですね。

 

 

アイドルグループやバンドの解散・脱退然り、

職場を転退職すること然り、

友人関係を解消すること然り。

 

 

人と人とが関わり合う以上、

何事にもズレは出てきてしまうわけです。

 

 

複数人で同じ方向へ進んでいくことって

簡単そうに見えて実は

すごく難しいことなんだろうなと感じます。

 

 

 

映画の中ではそのズレが

少しずつ大きくなっていくのを

目の当たりにしてしまうので、

本当に苦しくなりました。

 

 

2人とも一生懸命生きているからこそ余計に。

 

 

本当に素敵な映画だったと思います。

 

 

映画館で観ると思いっきり泣けないので、

配信始まったらまたお家でボロ泣きしながら

何度も観ようかなと思ってます。笑

 

 

それではまた。

楽を取るか楽しいを取るか


気付いたら10月も終わりに差し掛かってました。




今年は残暑もなくパッと寒くなり、
東京に台風が直撃することもなく、
あっという間に恋人たちの季節になるなあと、
少し感傷的になる機会が増えてきました。




自分でも嫌になるほどにウェットな性格なので、
今の僕には冬は少し辛い季節と言えるかもしれません。




夏か冬かなら圧倒的に冬ですけどね。




全然更新できてなくてすみません。




こんなに更新が滞ってても
アクセスしてくれる人がいることがすごく嬉しいです。




じゃあちゃんと書けよって話ですけど。




ここ数ヶ月、
なかなか気持ち的に塞ぎ込むことが多くて、
すごく薄っぺらい表現をするなら
"病んでる"状態でした。




24にもなって、
(何ならあと数ヶ月で25歳になるのに)
自分の感情一つコントロールできないなんてね。




会社で20歳前後の子が頑張ってるのを見て
すごく嬉しく思う反面、
自分と比較してしまってすごく卑屈になったり。




おかげさまで10月は回復しつつありますが、
またいつ落ちるのやらと思うと怖いですね。




相変わらず芯になるものを見つけられずにいるので、
言うなれば"たまたま元気だった1ヶ月"
である可能性も十分にあるわけであって。




上がってる時は楽しいかもしれませんが、
下がった時の落差を考えると、
そんなに上がらない方が
精神衛生上良いのではないかと思うこともあります。




落差があればあるほど怖いんですよね。




地上3階くらいの高さから落ちる
タワーオブテラーなんて
1mmも怖くないじゃないですか、多分。




もちろん面白くもないだろうし。




意味分からないくらい高いところまで上げられて、
一気に落とされるからめちゃくちゃ怖い。




二度と乗りたくないアトラクションの一つです。笑




恋愛においても、

「こいつオレのこと好きなのかも...?」

「これはもしかしていい感じなのでは...?」

と上げられて、
(これに関しては勝手に上がったの方が正しいが)
見事なまでに玉砕した経験、
男性なら分かっていただけるでしょう。




期待した分落ちた時が辛いんです。




男の脳の作りがあまりにも
単純で馬鹿なのも良くないのですが。笑




話が逸れましたが、
上から見える景色を想像するワクワクよりも、
落ちてしまった時の痛みが大きな枷になって、
動くのがすごく怖くなる。




何もしたくなくなる。




楽だもん。




安全だもん。




引き換えに何も面白くないけど。




そうやって自分の限界を決めつけることとか、
自分の価値を低いところで値踏みしてしまうこととか、
それこそ自分のことを大切にしてあげないこととか、
すごくもったいないなとは思います。




少しずつ頑張ってます。




人生のRESTARTを切るために。




人には褒められたいくせに、
自分自身のことは褒めてあげない。




少年ジャンプの主人公に、

ビビってんじゃねえ!!!

って怒鳴られてもおかしくないですね。




「失敗を恐れずに」とか、
「とりあえずやってみる」とか、
まずそこから始めないと。




ブランコで一回転できると
本気で思ってた小学生の頃。




高いところから飛び降りられる男が
何よりもかっこいいと思っていて、
遠足の前日に遊具のてっぺんから
飛び降りて盛大に捻挫をし、
パンパンの足で泣きながら
遠足に向かった保育園時代。




子どもの方がよっぽど勇敢じゃんとつくづく思います。




大人になるにつれて何をするにも
リスクを考えては動けなくなっていく。




いつの間にか見えない糸で雁字搦めにされている。




中途半端に賢くなるのが何よりも良くない。




楽しくなることへの恐怖心を
なくしていかないといけないなあと強く感じます。




あれ、おかしいな。




今回はBUMPへの愛を語ろうと思って
書き始めたんですけど、
気付いたらいつも通り2000字ほど
つらつらと後ろ向きに指を走らせ、
相も変わらずオチのない
ただの日記になってしまいました。笑




BUMPへの愛はまたの機会に書きます。




久しぶりの更新でした。




それでは、また。

今一番欲しいもの


あっという間に7月に入ってしまいました。



2020年ももう折り返しですよ。



早いものです。



全然更新してなくて申し訳ないです。



梅雨らしい梅雨がちゃんと来ていることに
少し安心しながらも、やっぱり雨は嫌ですね。



梅雨なので自転車通勤も今は一旦お休みしています。



自粛期間中外に出られなかった反動なのか、
最近割と休みの日も外に出るようになりました。



もともと結構アウトドア派ではあるんですけど、
ここ最近は1人は寂しいしやることもないし
寝てた方が楽じゃんって思うことが多くて、
割とだらだらと1日を終わらせる休日が多かった気がします。



ただ、"よし、今日は休む!だらだらする!"
って決めてだらだらしているわけではなく、
"なんとなくめんどくさいから出なくていいや"
って感じなので、全然疲れが取れなかったりするんですよね。



休むなら全力で休むし、遊ぶなら全力で遊ぶ。



その方がきっと気持ち的にも楽なんでしょう。



僕のだらけ方はそうではないので、
どうしても1日終わったときに、
"ああ、貴重な休みを無駄にしたなあ"
と思ってしまうことが多くて、
なるべく最近は外に出るようにしています。




最近は割と1人でお散歩をすることが多くて、
スマホで写真を撮り歩く休日です。



東京メトロの24時間乗り放題切符がすごく良いです。



600円で購入できて、
24時間は東京メトロ全線乗り放題なので、
元取るのはすごく簡単だし、
むしろ遠出する時はかなり安上がりだったりします。



都内の行きたいところは大体メトロで行けますからね。



ここのところ休日になる度にこのお得な切符を買って、
降りたことのない駅まで行って、探索しています。



降りたことのない駅とか、
行ったことのない地域を訪れると必ず、



"ここも誰かにとって大切な場所だったり、
馴染みの深い場所なんだよなあ"



って思うんです。



からしたら見ず知らずの街でも、
人は必ず住んでいますし、
誰かにとって思い入れの深い場所なんですよね。



どこへ行ってもそれは変わらなくて、
そう考えると世界ってむちゃくちゃ広いんだなって感じます。



人も同じだよなあと思っていて、
からしたら全くの他人でも、
誰かの大切な人であって、
その人が歩んできた数十年って
歴史があるんですよね。



全然価値観合わない人、苦手だなあって思う人、
たくさん出会ってきたし、
これからも出会っていくんでしょうけど、
それだけで誰かを否定していい理由にはならなくて、
大人なら華麗にスルーをしたいところではあります。



そうは言っても気にしちゃうのが人間だし、
心ない一言がグサグサ刺さってしまうもんです。



あくまでも、完全に防ごうってわけではなくて、
そういう心持ちでいたいよねって話ではあるので、
なるべく攻撃せずに平和な気持ちでいたいものです。



あーこの人とは合わないなって
思ったらそっと離れればいいんです。



悪口言ったりするのはすごく格好悪いなって思います。



合わない人のためにモヤモヤしてる時間がもったいないし、
自分の心を無駄にすり減らしている気がします。



なるべく気持ちを保てるようにするには、
結論自信をつけるしかないのかなって思います。



大事に思ってくれる仲間や彼女がいるから。



今すごく頑張ってることがあるから。



これだけは負けないと思っているから。



多分それだけでだいぶ違うと思うんです。



今一番欲しいものかもしれません。



お金でもなく、スキルでもなく、自信。



自信をつけるためにスキル磨きを頑張るんでしょうけど。



言い方は悪いかもしれませんが、
街中でストリートナンパを仕掛けている
お兄さんくらいの自信が欲しいです。



ナンパしているお兄さんを見る度に、
ものすごい自信と勇気だよなあって感じます。



ある意味では尊敬すら覚えます。



やろうとは思いませんが。笑



僕は圧倒的に褒められて伸びるタイプなので、
なるべく人のことも褒めてあげたいし、
持ち上げてあげられたらなあって気持ちではいます。



良いところ探して伝えてあげた方が、
絶対に相手だって気持ちいいはずです。



"いつかそれが自分に返ってきたらいいなあ"
なんて下心が多少あったりはしますけど(笑)、
褒め言葉をさらっと言い合える関係が仕事でも
プライベートでも理想だなあといつも思っています。



まずは自分から言葉にしていく。



1人じゃ生きていけないから、上手に仲間を巻き込んで
褒める文化ができていったらいいなあと思います。

ドラえもんにお願いしたい


ブログを書いた後って、
必ずセンチメンタルな気持ちになります。



最近の言葉で言うと、"エモい"というやつです。



自己陶酔に近いものなのでしょうか。



もう一記事くらい書いてやろうかってすごく思うんですよね。



不思議な気持ちになります。




最近、すごく思うことがあって、

"思ったことを思った時にメモしてくれる機械があればなあ"

って考えることがとても多いんですよ。



基本的に僕は普段職場まで25分くらいかけて
自転車で通勤をしているわけですが、
その間は結構いろいろ考えこむ時間になってます。



さすがに考えに没頭しすぎて
事故るとかはないですけど(笑)



でも割と色々考えてるんですよ。



でも、会社着いたら全部忘れちゃうんです。



自転車に乗りながらメモは取れないので、
何とか忘れないように忘れないようにと頑張るんですけど、
自転車降りたら記憶から消え去っています。



いざこうやって文字にして言葉にしてお伝えしようとすると、
不思議なくらいに何にも出てこないんですよね。



なので、思いついた時に思いついたことが
そのまま文字になってメモに残ってくれたら
めちゃくちゃ嬉しいなあっていつも思っています。



自分の頭の中を丸裸にされているようで多少気味が悪いかもしれません。
きっと財布や携帯より大切なデータになることは間違いないでしょう。



ドラえもんにお願いしたら、
「しょうがないな〜」って出してくれるのでしょうか。



こんな内容を、煙草が吸える喫茶店
1人ぽちぽちと書き連ねている日曜の午後です。



煙草が吸えるお店が本当に減りました。



4/1以降は、吸える店を探すのに本当に一苦労です。



居酒屋ですら吸えなくなりましたからね。



酒と煙草はセットだと思うのですが、
非喫煙者からしたら色々な意味で
煙たい存在でしかないのでしょう。



僕も21歳まで全然煙草に対して良く思ってなくて、
お金の無駄じゃんアホくさいと思ってた人なので、
嫌煙者の気持ちも分かるんですよね。



吸い始めたら沼にハマります。



悪いことは言わないのでやめておきましょう(笑)



確かに、煙草は嗜好品ではありますが、
健康を害するものには違いなくて、
しかも吸うだけじゃなくて吐かなければいけないので、
場所によってはどうしても周りに迷惑がかかりますからね。



僕の後輩にも、服についた臭いだけで
気持ち悪くなっちゃう人とか、
喘息に影響が出ちゃう人とかもいて、
単純に目の前で吸わなければ無関係と
いった話ではないのかと思ったことがあります。



それでもボーッとしながら煙草をぷかぷかと
ふかしている時間はすごく落ち着けますし、
吸っている人同士で仲良くなったりしますし、
一概に悪いことばかりではないのかなとは思うんですけどね。



肩身が狭いよなあと喫煙者同士で
愚痴りながら吸う煙草も美味しかったりします。
タバコミュニケーションなんて言ったりしますよね。



場所と相手をきちんと選んで、
マナーを守って吸う分には許してほしいです。笑



それがダメならもう1箱2000円とかにしてほしいです。笑



そしたら多分やめます。



お金持ちの娯楽レベルまで値段を引き上げたら
どれくらいの人がやめるのでしょうか。



ちょっと気になるところではあります。



煙草がかっこいいなんて一昔前の話で、
今はもうそれだけで嫌われたり、
恋愛対象外にされたりしますからね。



マナーの悪い喫煙者にならないように気をつけます。

感性のアンテナ


最近、ブログの更新頻度が目に見えて落ちています。



1週間に1回ほどの更新で、
土日にバーっと書いているような感じです。



仕事で疲れているからかと思っていたのですが、
おそらく書くことがないのだろうなあと最近感じます。



書きたいことがあればきっと仕事の後でも
時間作って少しずつ書くと思うし、
YouTube見てるより文章を書いてたい欲の方が強くなります。



家と職場の往復で、新しい刺激が
全然入ってこないからなのでしょうか。



正直日々思うことなんて毎日ほぼ同じですし、
そうなるとブログの内容も同じようになってきてしまうし、
なかなか難しい問題だなあと思っています。



でもそれってみんな同じで、
その中でどれだけインプットを増やしていけるかが
すごく大切なんだろうなあと思っています。



感性のアンテナを張り巡らせていないと、
ピンとくるものにはなかなか出会えませんね。



そういう意味では、上手なエッセイを書ける人はすごく尊敬しています。



ブロガーさんがダメというわけでは全くないですが、
面白いエッセイを読むたびに、すごいなあと感じます。



日常の何気ない出来事から感じたことを人に伝えるって、
簡単そうで実はとても難しいことだなあと思います。



そもそも日常生活の中からテーマを探し出すという部分で
着眼点のアンテナを張り巡らせておかないといけないし、
さらにそれを独自の感性や言葉で文章に起こしていく表現力も必要です。



豊かな感性や表現力がある。
それだけで何か人としての深みを測れるような、
そんな気がしてならないのです。



もちろんそれが全てではないし、
文章以外のことで表現をする人もたくさんいますが、
僕個人としてはやっぱり文章で伝えられる、
人の感情を動かせるということにはすごく憧れがあります。



感性の部分に関しては先天的なものなのかもしれません。



ただ、自分の思ったことをきちんと言語化する、人に伝える。



それくらいはきちんとできるようになりたいなあとすごく感じます。



表現力という意味で感動した人を挙げるとすれば、
吉本ばななさんになるかと思います。



アムリタという薄い上下巻の文庫本を読んだ時に、
"なんて表現力豊かな文章を書くのだろう"と、
とてつもなく衝撃を受けたことを覚えています。



比喩表現がとにかく多彩で、一つ一つがすごく的確なんです。



アムリタを読んだのはかなり前になるので忘れてしまいましたが、
「○○のような××」といった比喩表現の豊かさに感銘を受けました。



加えて、上下巻を通して一貫して「日常のお話」なんですよね。



ちょっと非日常のような体験も出てきますが、
それも上手に日常の一部分に収まっています。



よく考えたら僕らの毎日も同じようなもので、
同じような毎日ですが同じ日は絶対ないんですよね。



その些細な違いや小さなエピソードをきちんと覚えていられるか。



人に伝えられるだけの語彙力や表現方法を身につけているか。



毎日が同じことの繰り返しだと思って
しまっているそのマインドがすでに、
日常をつまらなくさせてしまう
きっかけになっている気がしています。



大人気番組、「人志松本のすべらない話」もそうですが、
基本的にはそんなに変わった体験ではないんですよね。



普通に生きてたらスルーしてしまうような出来事を、
"良くそこまで面白く伝えられるなあ"と、
芸人さんの話術や表現力のすごさを再確認する次第です。



小さな出来事に対して常日頃から、
簡単に文章にしてみる、一度言語化してみる、
そういう癖をつけてみるのもありかなと
思い始めてきた今日この頃なのでした。



P.S.

吉本ばななさんの本、ぜひ一度手に取ってみてください。



びっくりするくらいに綺麗な文章で驚きますよ。

歳だけとって子どものまま


あっという間に6月に入り1週間が過ぎてました。



仕事の日は書く気になれず、
そのまま他のことして寝ちゃってるので、
休みの日に書くくらいしかできてません。



5月の総アクセス数は477回でした。



ありがたいことにこんなブログにも、
1日平均約15回のアクセスがあるそうです。



いつも読んでくれてる方、ありがとうございます。



仲良しの友達からは、ブログ読んだ感想とか、
僕の文章が好きとか、色々な声をいただきます。



そういう声がノートに書く日記と違うところで、
原動力になるよなあとひしひしと感じています。



さて、名前をつけたい現象、名前が気になる現象
っていくつかあったりするものだと思います。



与えられた課題をギリギリまで
溜めちゃうこととか(単なるサボり癖)、
ネット検索をしたくてブラウザを開いたけど、
「あれ、何て検索しようとしたんだっけ」となる現象とか。



雨が降った時に地面から上がる匂いにも
名前がある(ペトリコールと言います)世の中なので、
多分研究している人たちが何かしらの名前を
つけているんでしょうけど、気になって仕方がないです。



一番気になる現象が、
当時の彼らに追いつけない現象です。



はい、ネーミングセンスのなさがお分かりかと思います(笑)




高校生の頃、大学生が
めちゃくちゃ大人に見えませんでしたか?
同じように、大学生から見た社会人って
もはや格が違うと思ってました。



あの頃はめちゃくちゃかっこいいと思っていましたが、
いざ自分が大学生になってみたら、

「あれ?思ってたのと違う」

「何も変わってなくね?」

ずっとこんな感じです。
永遠に追いつけません。



歳だけとって何も変わってない気がします。



みんなそういうものなんでしょうか。



理想だけが先走っているのか、
単純に補正がかかってるだけなのか。
ある種偶像崇拝的なことになるのかもしれませんね。



好きな人がかっこよく、可愛く見えるという現象に
似て非なるものなのかなあと思ったりはしています。



正直なところ、自分に満足することなんて
一生ないのかなあとは思っています。
欲深いのが人間ですからね。



めちゃくちゃお金持ちになっても、
際限なくもっともっとって追いかけそうです。



じゃあそんな中で、何をしたら比較的満たされやすいのか。



誰を、どこを目指すべきなのか。



なかなか決まりません。



先日、先輩から海釣りに誘っていただきまして、
初めての釣りに行ってきました。



その時に、

あーなるほど、こういうことか

と思ったわけです。



知らないことが多すぎるから、
やりたいことが見つからないんだ

と。



やりたいことがないってことは、
まだ知らないことがそれだけあるとも言えるわけです。



そのどこかで、何かハマるものが出てくるかもしれません。



やったことないことにチャレンジをすると、
人としての深みがどんどん増していくような気がします。



ただ、釣りなんて1人じゃ絶対行かなかったし、
誰かに誘ってもらわないと絶対にやらなかったものです。



そういう機会をどれだけ増やしていけるか。



そういう機会を増やしてくれる人とどれだけ付き合えるか。



そこが人生を豊かにする上でのキーポイントのような気がします。



結局のところ1人じゃ何にもできないし、
楽しいことも1倍にしかならないんですよね。



良くあるじゃないですか。



「楽しいことは2倍、嫌なことは半分に」



みたいな歌詞。



きっとあんな感じで、
たくさんの人と一緒に感情を共有することで、
満たされる気持ちが強くなっていくんだろうなと
感じている今日この頃です。



そういう繋がりを欲している今日この頃です。

仕事ができない人代表として


1週間も空いてしまいました。
ごめんなさい。


精神的にボロボロになっていて、
1週間かけて書いた記事は全部消しました。笑



ネガティブすぎて、とても人様に
読んでいただくものではないなと思ったので。



特に何かがあったわけではないんですけど、
底の底まで落ちてしまって疲れてきっていました。



いつも通りお仕事ができるだけで有り難いんですけど、
久しぶりに普通に5日間フルで仕事をして、
"5連勤ってこんなに辛かったっけな…"
と、今までの鈍りを感じています。



5日間クタクタになって仕事をしたところで、
土日の休日は何もやることがなくて、
遊んでくれる友達も全然いなくて、
そうこうしているうちにまた月曜日が来ちゃって、
人生が充実している気が一つもしません。



人生を謳歌するってめちゃくちゃ難しいことで、
オレには無理なんじゃないかって思ってしまいます。



ほらこうやって、ちょっと気を抜くと
ズルズルとネガティブな文字を書き連ねてしまう。



根っからのネガティブ人間である僕の悪い癖です。



僕の会社では、

"ネガティブを言ったら500円罰金"

という不思議なキャンペーンが一部で適応されています。



うちの会社のすごいところは、
ネガティブを口に出す人が皆無なところです。



口を開けば会社愛を叫び、自分を奮い立たせ、
他人を褒め、未来のことを語っています。



会社内ではもちろん、会社にいない時ですら
誰かの悪いところは口に出さないんです。



良くもまあ若くしてこんなにできた人たちが
集まっているものだと思います。



僕も会社は大好きです。
できることなら"できた人たち"の仲間入りをしたいし、
この会社のためにできることを頑張りたい気持ちはあります。



ただ、会社にいると、

"ネガティブは悪"

かのような感覚がしてきます。



ネガティブが善だとは思いませんが、
ネガティブな気持ちを吐き出すことは
時に必要なことではないのかなあと感じます。



確かにネガティブよりは
ポジティブの方が良いに決まっていますし、
みんながやる気のなかで1人だけ
「まじ辛いっす」とか「もう無理っす」とか言ってたら、
そりゃ士気も下がるし空気感としては良くないでしょう。



そういう意味でのネガティブは当然なくしていくべきです。



ただ、

"頑張りたいけどうまくいかない

とか、

"他の人と比べてヘコんでしまう"

とか、

こういう気持ちは吐き出してナンボだと思っています。



正直、こういう発言さえタブーとされている空気感があります。



実際のところは吐き出してもいいのかもしれませんが、
忙しそうでなかなか声がかけられなかったり、
こんなネガティブなこと伝えるのもなあと思ってしまったり、
とてもじゃないけど言える雰囲気ではないです。




最近、そういう雰囲気を感じる中で、

"僕がそういうネガティブのはけ口になればいいんじゃないか"

と思うようになってきました。



しんどい時はしんどいって言ってほしいし、
向いてないとか辞めたいと思うならぶつけてほしい。



モチベーションを上げるのは他の人の方が
圧倒的に優れていると思いますが、
弱音を受け止めるのはきっと人より得意な気がします。



自分が何も秀でてない人間だからこそ、
周りがすごくできる人間に見えてしまうからこそ、
同じ気持ち抱えてる人の声には同調したいです。



吐き出すだけ吐き出したら、あとはうちの会社の
ポジティブ幹部陣・ポジティブ責任者陣に
ぶん投げてしまえば、やる気にさせてくれるのは
彼らの方が何倍も上手ですから。



会社に1人だけ、僕に同調をしてくれた上司がいます。



この人はすごく分かってくれるなあ。



ただポジティブな言葉をかけてくれるだけじゃなくて、
できない人の気持ちに寄り添ってくれるなあ。



そういう上司が1人だけいます。



今もずっと大好きな人ですが、来月から扱う商材が
変わって別の場所での勤務になってしまいます。



切ないですが仕方ないですね。



ずっと僕の憧れの上司です。



あんな人になりたいなあとずっと思っています。



さて、仕事ができる人たちに囲まれて仕事をした5月でした。



自分との圧倒的な差を感じて、

"それだけ伸び代があるんだ"

とは正直思えませんでした。



"この人たちには追いつける気がしないな"


"やっぱりオレじゃ無理なのかな"


と思ったのが事実です。



正直毎日頑張り続けるなんて無理です。



頑張ったって結果に結びつくか分からないのに、
全力疾走をし続けるなんて普通の人はできません。



普通の人代表として、みんなの知らないところで
ネガティブのはけ口になれたらいいなあと思います。



弱ったらオレのところに来てほしい。



そんな上司・先輩でありたいです。



そして少しずつ自分もポジティブになれたらいいなあと思っています。




P.S.


会社のお偉いさんがこのブログ見たら怒るんだろうなあ。


そんなんだから普通の人止まりなんだよって思うんだろうなあ。



それでも書きたかったので書きました。



本音です。